天使が消えた街 

(THE FACE OF AN ANGEL)2014

監督 マイケル・ウィンターボトム  
キャスト ダニエル・ブリュール トーマス・ラング 
  ケイト・ベッキンセール シモーン(伊在住の女性記者)
  カーラ・デルヴィーニュ

メラニー(英からの留学女学生)

  ヴァレリオ・マスタンドレア エドゥアルド
  ジョン・ホプキンス ジョー(シモーンの友人記者)
  ジェネヴィーヴ・ゴーント

ジェシカ(容疑者)

(アマンダ・ノックス)

  ラニエリ・メリコーニ

カルロ(容疑者 ジェシカの彼)

(ラファエル)

  サイ・ベネット

エリザベス(被害者) 

(メルディス・カーチャー)

 

アリステア・ピーイトリー

スティーヴ(映画プロデューサー)
  エヴァ・エイカース ビー(トーマスの娘)
ダンテ と ベアトリーチェ        イタリア人です
ダンテ と ベアトリーチェ       イタリア人です

イタリア留学中の英人女学生の他殺体が発見され、ルームメイトだったもう一人の女学生とその交際相手の男が容疑者として逮捕された。

話題となったこの事件を映画化するため映画監督のトーマスは現地を訪れ事件を調べていく。

 

2007年にイタリアで実際に起こった事件「ペルージャ英国人留学生殺害事件」(アマンダ・ノックス事件)を題材にした英・伊・西の合作映画。

 

「凄惨な事件。その裏に隠された驚きの事実。犯人は!?」という感じのサスペンスだろうと思って観ましたが全然違いました。

事件そのものの詳細についてはあまり描こうとしてません。

容疑者が美人だったこともあり、ワイドショーネタとしてスキャンダラスな報道が過熱。事件が大衆の興味として消費される社会に違和感を覚え苦悩する主人公を描くことで、興味本位な報道をするメディアや、それを求める社会を批判し、事件に対して真摯に向き合う姿勢を問うメッセージ性の強い作品になってます。

 

実際の殺人事件を題材にした映画ですが、その作中でも映画監督の主人公が事件の映画化を目指すというちょっとややこしい構図。

なので作中の主人公トーマスが、マイケル・ウィンターボトム監督の代弁者的な役割を担っているんだと思います。

 

主人公トーマスは、ケイト・ベッキンセール演じる女性記者シモーンから

「映画化するならフィクション化しなさい。でないと全ては描けない。」と言われてますが、実際本作でも名前や場所等が実際の事件とは変えてあります。 

 

(好きなところ)

●美女たち。

ケイト・ベッキンセール、カーラ・デルヴィーニュ。 ザ・美人です。

出番は少なかったですが、容疑者ジェシカ役、被害者エリザベス役の子も 美人さんだった。みな、とても整った美人で似ていた。

 

(実際の事件)

この映画を観ると、消化不良を解消するためまずここが一番知りたくなる。

 

・2007年11月、イタリアのペルージャで英国人女子留学生メレディス・カーチャーの他殺体が発見される。

乱暴され、咽を切られ、半裸状態だった。

 

・警察はルームメイトの米国人女子学生アマンダ・ノックスとその交際相手ラファエルと2人と共に現場にいたコートジボワール人の男(麻薬の売人)の3人を逮捕。容疑を否認し続けるも、最終的にアマンダは犯行に加わった事を自白。

 

・アマンダが男達との乱交プレイにメレディスも加わるよう誘うが断られたため、乱暴し殺害したとして3人は起訴される。

 

・2009年1月裁判開始。

コートジボワール人の男は、事件は自分がトイレに行っていた間に起きていたと主張するが有罪判決に。

アマンダ側は、イタリアに来て2か月のアマンダに慣れないイタリ語で長時間に及ぶ強引な取り調べを行い自白を強要されたと訴える。

 

・2009年12月一審でアマンダとラファエルに有罪判決。2人は控訴。

・2011年10月イタリア警察の現場の証拠保全がずさんで、またDNA等の証拠にも疑問が残るとの事で二審で2人は逆転無罪判決。

アマンダは釈放されアメリカへ帰国。

しかし

・2013年4月イタリア最高裁は二審の無罪判決を破棄。再審を決定。

・2014年1月、再び有罪判決。

・2015年9月、イタリア最高裁は再び無罪判決。 

 

事件はコートジボワール人の男1人の犯行だったという事で落ち着く。

 

アマンダが美人だったこともあり、伊では報道が過熱。

Angel-faced killer(天使の顔をした殺人者)などと揶揄。

セックスやドラッグや様々な過去がスキャンダラスに報道される。

一方、米ではアマンダの家族の働きかけもあり、メディアはアマンダ無罪、救済を煽った。

 

★★★PICK UP LINES★★★

 トーマスの迷走?

 

映画製作関係者

「映画化するのなら、何が事実か決めておかないと。」

 

トーマス

「それは重要じゃないよ。本当の事実や裁きは存在しないというのがテーマだ。そんなものはただ人の興味で決まるだけのものさ。」

 

映画製作関係者

「映画にならないわ。」

 

トーマス

「なるよ。」

 

映画製作関係者

「その夜、2人の女の間に何がったのかを見せなければ。」

 

トーマス

「そんなものは虚構だ。自分たちの想像のね。実際には何も知らない。

神なき世界の推理小説、答えのないパズルのよう。」

 

映画製作関係者

「観客が喜ぶかな。」

 

トーマス

「どうして? 安易な答えより忠実だ。」

 

 

 

※メッセージ性重視のチャレンジ作だったとは思うのですが、事件の真相をはっきりさせて描くことも大切だと思います。事件そのものを描きたかったわけではなかったとしても、題材として取り上げたからには、そうすべきかなと。「真実は誰にも何もわからない」じゃあ、人の世は成り立たないし、

上のトーマスの台詞は、観客に「つまらない」と言われた時の言い訳のようにも聞こえてくる。

映画は基本エンタメだと思ってますが、様々な問題提起をする社会派の作品ももちろんたくさんあります。誰がどんな意図でどんな映画を創ろうとも それは自由ですが、この作品は独りよがりな感じがしました。