宮山城

 三重県津市

【歴史】

天文23年(1554)木造具政(ともまさ)が隠居所(戸木御所)として戸木城(へき)を築城。同じころ、戸木城の守りとして戸木城からおよそ800m北の丘陵(宮山)に支城(出城)として建てられたのが宮山城

 

本能寺以後~小牧・長久手の戦い

天正10年(1582)本能寺の変の後、一旦は協調関係にあった織田信雄と秀吉が対立。

天正12年(1584)小牧・長久手の戦いが始まる。信雄の家臣となっていた木造氏は、秀吉配下の蒲生氏郷らの攻撃を受けることに。

 

天正12年(1584)木造長政は戸木城を改修・修復し籠城。北の宮山城、東の川方城、牧城などの支城で守りを固める。

(戸木城籠城戦)

津城主、織田上野介信包を総大将とし、氏郷は長野氏系の武将を率いて天正12年(1584)5月には戸木城の東にある牧城、川方城、北にある宮山城を攻略。(宮山城は木造家配下の柘植彦次郎、田中道京、海津六郎左衛門、河原田伝七郎らが守りにあたったが、氏郷配下の家所帯刀らに落とされる。)

宮山城は戸木城攻略ための陣城として、蒲生軍により改修され使われた。

また北西500mの地にも城山城を陣城を築いている。

 

9月、刈田夜合戦(菅瀬(須加瀬)合戦)

11月、秀吉と信雄が和睦。 その後、戸木城とともに廃城になったと思われる。

 

【城郭】

久居インターの西、165号沿いにある敏太(とした)神社の裏山が城址。

境内の脇から登り、数分で頂上の主郭域に着く。

規模は小さいものの、市街地の中にあり、遺構まで簡単にたどり着ける。

主郭には稲荷社が祀られており、方形の土塁に分かりやすく囲まれている。その外側にも「折れ」を多用した複雑な空堀や土塁により囲まれている。

 

これらは、蒲生軍が接収後に築いたものと考えられている。

宮山城、城山城の北にある溜池、風早池は垂仁(すいにん)天皇(実在したなら3世紀後半~4世紀前半に在位)が全国に作らせた池の一つと伝わる。