城山城

三重県津市

【歴史】

天正10年(1582)本能寺の変の後、一旦は協調関係にあった織田信雄と秀吉が対立。

天正12年(1584)小牧・長久手の戦いが始まる。

信雄配下となっていた伊勢国の各所が、滝川一益や蒲生氏郷らが率いる秀吉軍の攻撃を受けることに。

 

戸木城籠城戦

天正12年(1584)信雄家臣となっていた木造長政は戸木城を改修・修復し籠城。北の宮山城、東の川方城、牧城などの支城で守りを固める。

津城主、織田上野介信包を総大将とし、蒲生氏郷が長野氏系の武将を率いて天正12年(1584)5月には牧城、川方城、宮山城が攻略される。

宮山城は逆に戸木城攻略ための陣城として蒲生軍により改修され使われた。

蒲生軍は他にも付城(陣城)を築き、戸木城を包囲。その1つが、宮山城から北西500mの城山城と考えられる。

 

【城郭】

同じく戸木城攻めの陣城となった宮山城から北西500ほど、風早池の南、比高10mほどの丘陵の頂部に築かれている。

方形の単郭が二重の土塁に囲まれた作りで、「折れ」を多用した形は宮山城に似て、同時期に同勢力によって築かれたことが伺える。

宮山城のような高さのある土塁は残っていないようで、遺構がよく分からなかったため再訪したい。